ベルギーからやってきた自転車教室
ウィーラー(wieler)は、自転車競技大国として知られるベルギーのフラマン語で「サイクリング」という意味である。そしてウィーラースクール(wielerschool)とは、ベルギーで盛んに行われているスポーツ教育の一つである一般的な「自転車教室」のことを言う。
日本における「ウィーラースクール」とは、ベルギーのカリキュラムをベースに、現在の日本の交通事情や特に自転車のおかれた環境を考慮、スポーツサイクルだけでなく、交通社会人としてのルールやマナーを学ぶ場として、またライフスタイルとして自転車を利用する市民を育てるため、日本ならではのさまざまなアイデアを盛り込みアレンジした自転車教室となっている。
団体に属さず、企業や行政などに頼らない、多くの個人サイクリストたちが全国に広がるネットワーク「ウィーラースクールジャパン」を自主的につくり、運営している。
ベルギーと日本との違い
自転車競技者の底辺拡大をめざすベルギーのウィーラースクールの最大の目的は、競技者の底辺拡大である。そして、もうひとつ大切なこととして「自転車競技者をめざす子どもが、公道上のトレーニング中に不幸な事故により、その将来を棒にふってしまうのを防ぐ」という目的もあわせ持つ。
ベルギーのウィーラースクールは、その目的のため、毎週末各所で自転車教室や、「ケルメス(移動遊園地の意)」と呼ばれる、ミニレースを開催し、競技の普及に務め、本格的に自転車競技に進みたい子どもたちにむけた競技指向の高い教育機会を生み出している。
しかし日本では、自転車競技そのものがまだ広く市民に認知されておらず、加えて市民の自転車利用の認識や、その文化も大きく違うため、ベルギーのそれとは一線を画すスクールとして変化せざるを得なかった。結果、日本におけるウィーラースクールは、現在の日本の交通事情、特に自転車のおかれた環境を考慮し、スポーツサイクルとしてだけでなく、交通社会人としてのルールやマナーを学ぶ場として、またライフスタイルとして自転車を利用する市民を育てるため、日本ならではの、さまざまなアイデアを盛り込みアレンジした自転車教室として独自の変化を遂げた。
日本で一番楽しい自転車教室
日本で展開されているウィーラースクール(自転車教室)では、単に交通ルールやマナーの知識を覚えるだけでなく、自転車の文化やその歴史、仕組みの理解、そしてなにより子どもたち自身の自転車操作技術の習得とその向上に重きを置いている。なぜなら自転車は、乗る人の「命を預ける乗りもの」であり、普段から生活に欠かせない道具だからである。特に子どもたちには、交通社会での振る舞いや、自らが責任をもって「正しく行動する」ことの大切さをしっかり教える必要がある。
ウィーラースクールでは、こうした「正しい行動」の意味は、ただ机の上でルールを覚えるだけでは身につかないと考えている。それは、子どもたちが、この本当の意味を知るためにも、たくさん自転車に乗る「経験」をするこそが必要だと考えているからだ。
ウィーラースクールでは、子どもたちが自転車を好きになること、また自転車にのることが楽しいと感じることができるよう、「自転車に乗る楽しみ」を組み入れたプログラムを子どもたちに提供することを第一義としている。
ウィーラースクールジャパン
代表者:ブラッキー中島隆章
事務局:京都府南丹市美山町和泉小橋ノ本16−1 CYCLE SEEDS
電 話:090-5248-0055(平日午前9時〜午後5時)
ウィラースクールの歴史
- 2003年
- 神戸のNPO法人 グッドウィルスポーツライフアシスト(GWSLA)が、ベルギーに視察に訪れた折、現地のウィーラースクールを見学。連盟に許可をとり、日本にはじめて教科書を持ち帰る
- 2003〜2006年競技志向時代
- 神戸ポートアイランドで開催された自転車レース会場で、日本で初めてとなるウィーラースクールが行われた。参加者は会場にいた数名の子どもたちだけだったが、講師は当時NIPPOに在籍していた岡崎和也氏が勤めた。これがトップ選手が子どもに向けた専門的な教育に携わった最初となる。
以降、神戸市からコンテナヤードの空き土地を借り受け、年間3〜4回のウィーラースクールを開催。当時は、レース経験者が中心の本格的な競技指向の教室で、参加者は普段から競技を行っていた子どもやその家族が主だった。 - 2006年消滅の危機
- NPO法人の運営が諸事情により困難になり解散することになる。
このままウィーラースクールの灯が消えてしまうのを防ぐため、スクールのみNPOの運営から独立。
以後、当時大阪在住のブラッキー中島が受け皿となり、個人活動としてのウィーラースクールが始まる。 - 2007年日本版教科書の誕生
- もともとのフラマン語の教科書を翻訳し、日本独自の考え方やカリキュラムを組み込んだ日本で最初の子ども向け自転車教育の教科書を自費出版。監修は、当時プロロードレーサーだった、シマノレーシングの野寺秀徳(現同チーム監督)。この教科書は多方面で話題となり、業界内で注目を集めその後の活動の基盤となる。
- 2007〜2008年新しいスクールの形を
模索 - 関西を中心に年間10回程度のスクールを企画実施。教科書の頒布を軸に、スクールを意義を多くの人に理解してもらうため、1〜2時間程度の制限時間と限られた広さの場所で対応できる、スクールのパッケージを考案し様々なイベントで体験スクールとして開催。これが多くのイベントのニーズにマッチし、以後、ウィーラースクールの形として多くの人に認識されるが、これらはあくまで体験型のものであった。
この頃になると、全国各所で同じ思いを持つ人達による地域のスクールが生まれだす。 - 2009年〜自転車教室の可能性を
探して - ブラッキー中島が京都府南丹市美山町に移住したのをきっかけに、美山町を拠点としたウィーラースクールが始まる。年間10回のプログラムを計画し、子どもたちにどういったプログラムを経験させるべきか、様々な実証や検証などを行う。これをもとに日本版:ウィーラースクールの指導方針が徐々に固まる。
- 2010年〜多くの賛同者が
集まる - ウィーラースクールの意義やその将来の価値を理解した多くの企業や団体、個人から様々な支援を得られるようになる。例えば全国に活動を広げるためのスクールカーや、子ども自転車、ヘルメットなどの装備の寄付。またメカニックサービスなどの専門性の高い技術の無償供与など、自転車業界内外からも多くのサポートを受けることができるようになる。
それまでのスクールの経験を活かし、教育手法をまとめたWEBサイト「サイクリングスクール.jp」を自分たちで立ち上げ、ノウハウを全公開。この頃より、指導者講習会を積極的に開催しウィーラースクールの考え方を流布する活動に力を注ぎ出す。
- 2016年〜拠点の完成
- ウィーラースクールの教育の発信地として、また美山町の環境を活用した子どもたちへのサイクリングの可能性を提供する場や、全国のサイクリストが集う拠点施設としてのサイクルステーション「CYCLE SEEDS Kyoto Miyama」を京都府南丹市美山町に完成。資金は、この活動に賛同する全国各地の有志のクラウドファウンディングで調達した。2017年以降は、様々なレクチャーの場として、またウィーラースクールやそれに伴う自然体験の拠点施設として活用が進む。
- 2018年〜指導要領完成
- これまでの10年以上の経験をまとめ、これからの自転車教育がどうあるべきかをまとめた指導要領が完成。それに伴い、公式ウェブサイトもリニューアル。今後は、多くの地域に、このメソッドを活用したスクールが独自に開催されることを目指す。
全国で多くのスクールや指導者講習会を開催。 賛同者多数。