教育的価値としての自転車教室
自転車の事故や違法駐輪など、自転車が関わる様々な問題を減らし、解決するために行政や市民団体、業界などによって様々な対策が行われている。
例えば、自転車がからむ交通事故数を減らすために現在の道路に自転車レーンを併設したり、自転車専用道を新設したりすることもそのひとつである。こうしたハード(インフラ)は、規模が大きいゆえ、予算化を始めとする多くのプロセスを経て、ようやく実現に向けてのスタートを切ることができる。とにかく「時間」と「お金」が必要である。
ウィーラースクールでわれわれが提唱する効果的な手法は「自転車教育の充実」である。
自転車を利用するための適切な教育をうける機会を増やし、利用する市民の意識をあげること。特に子どもたちへの教育に力点を置くことは重要で、10年先に交通社会の主役となる優良な市民を生み出すことにもつながると考える。
自転車は不思議な乗りものである。
例えば子どもの頃に自転車を楽しんだ経験のある人は、大人になってもその楽しみを忘れないのではないか。
今、子どもへのアプローチを積極的に行い、それを続けていけば、将来、自転車が好きで自転車に乗ることを当たり前と思う大人が増えるかもしれない。交通ルールの遵守はもとよりマナーの良さも兼ね備えた、周囲を思いやることのできる責任ある市民が多数生まれる可能性がある。
自転車は単なる趣味やスポーツにとどまらず、社会の交通システムの一角を担う乗りものである。
だからこそ、自転車を理解し、支持する市民が増えれば、道路などのインフラをはじめとした社会構造そのものもに大きな影響を与えるかもしれない。
次世代を担う子どもたちに、「自転車」を通じて、技術だけでなく、社会に対する正しい知識を学ばせることは重要だ。そしてそのため「自転車教育の充実」を実現することは、単なるスポーツ教育にはとどまらない大きな意味を持つことを多くの人に知ってほしい。
そんな夢のある教育機会を作り出すことは簡単だ。
それにそれほど大きな取り組みでなくとも、市民レベルのような小さいサイズでも実現可能だからだ。
簡単な例をだせば「親が子に教える」というのがミニマムサイズの教育機会である。このあとグループ、地域、企業、社会と広がっていく。教育機会創出はいわば社会システムの変革に向けた作業でもある。
そう考えると自転車教室とは、個人レベルで社会全体を変えるきっかけを作り出せる、大きな可能性をわれわれに与えてくれる、大変興味深い取り組みではないか。
スローガン(理念)の変遷
ウィーラースクールは日本に上陸してから、少しずつその方向性を変化させてきた。 当初、競技志向の自転車教室であったものが、今ではすべての子どもに向けて行う自転車を使った人間教育を目指すものになりつつある。その変遷の様子を紐解く。
スローガン(理念)
「ひとりでも多くの子どもに、自転車に乗る楽しみを」
日本におけるウィーラースクールは、子どもたちにサイクルスポーツを知ってほしい、楽しんでほしいという気持ちからはじまった。本国のベルギーの教科書に大きく謳われているように、自転車に乗った子どもたちが、トレーニング(サイクリング)中の不幸な事故によりその将来を棒に振ってしまうことのないように、彼らの自転車の操作技術を向上させるための指導法を日本に広めていくことを目的にしている。
子どもたちに自転車の操作技術を向上させるには、彼らが何度も自転車に乗り、その上で交通社会における様々なシチュエーションを経験し、実際の走行に活かすことが必要。ひとりひとりに、「何度も乗りたい」というモチベーションを生み出させることが必要で、そのためにも「楽しむ」というキーワードを用いたカリキュラムの創造や、考え方が必要だと考える。
その考えから生み出されたスローガンが、
「ひとりでも多くの子どもに、自転車に乗る楽しみを」である。
その後、自転車教室としての可能性を追求していく上で、その考え方や理念を、時代に合わせその都度、適宜修正しながら継続してきた。
「子どもたちに豊かな人生を送ってほしい」
美山での定期的なスクールを開催しながら、様々な取り組みを行う中、本当の意味で自転車という存在を活用するためにも、自転車に乗るその目的を明確にすることが重要性ではないかと考え、「自転車は人生を豊かにする乗りものである」という考え方を提唱する。
具体的には、指導者側が「なんのために、子どもに自転車を教えるべきなのか」を考え、単に競技としてだけでなく、かれらの今後の人生に有益な乗り物として「自転車で豊かな体験をすること」を念頭に置いた「サイクリング」などのプログラムを盛り込むことを主に取り組みだした。
2017年以降、子どもたちに自転車を通じた社会性を養わせるためにどうすべきかを考え続けた結果、
「豊かな人生を送るために、自転車というツールを活かす」という考え方に到達する。
この考え方の意味するところは、自転車を安全に且つ快適に利用するためには、自転車という切り口だけではない人間育成の必要性があるということだ。
総合的な教育の有効な手段の一つとして、
自転車をいかに活用するか。
これが、これからの自転車教室に課せられた使命である。