はじめに: カオスの中にこそ、本当の「秩序」がある
これまで、何度も
「ブラッキーさんのスクールは、子どもたちに統率が取れていない」、
「ただ子供たちを遊ばせているだけで、交通教育の指導になっていない」
などと厳しい評価をいただくこともありました。
整然と一列に並び、笛の合図で一斉にスタートし、決められたコースをはみ出さずに走る。
確かに、多くの大人がイメージする「正しい交通安全教室」は、そういうものかもしれません。それに比べれば、わたしたちのウィーラースクールは、一見すると「カオス(混沌)」でしょう。
異年齢の子供たちが入り乱れ、あちこちで歓声が上がり、時には転び、時にはコースを逆走しようとする子がいて、それを他の子どもたちが注意したり、避けたり。 一見、無秩序に見えるこの風景。
しかし、私はこの「カオス」を悪いものだと感じていません。むしろ望ましい状況だと、実は、心の中でガッツポーズをしています。
なぜなら、現実の「公道」こそが「カオス」だからです。
交差点には、急に飛び出してくる歩行者がいます。また、予測不能な動きをする車もいます。 交通ルールがあるとはいえ、現実の公道上では、誰も思った通りの「一列に並んで」なんてはくれません。
そんな「想定外」が細かく連続する社会の中で、子供たちが自分の命を守り、他者と共存していくために必要な力とは、いったい何でしょうか?
それは、「先生(大人)の言うことを静かに聞く」力ではありません。
「今、周りで何が起きているか」を感じ取り、「自分はどう動くべきか」を瞬時に判断し、実行する力です。
ベルギーからウィーラースクールが、2003年に日本に持ち込まれてから20年以上、わたしたちが大切にしてきたのは、自転車の乗り方(How)ではなく、自転車を通じた<人間としての在り方(Being)>です。
「危ないからダメ」と遠ざけるのではなく、転ぶ痛さを知って「限界」を学ぶこと。
「教わる」のを待つのではなく、遊びの中で、自ら「学ぼうとする」こと。
ペダルを漕ぎながら、周囲をよく見て、「お先にどうぞ」と会話すること。
私たちのスクールでは、自転車に乗りたくない子には「乗らなくていい」と言います。その代わり、スタッフの大人と一緒にコースを考え、作ったりします。せっかく教室に来てるのに自転車に乗って練習したほうがいいと強要はしません。
その時、乗りたくなくても、その場にいたことが、彼らにとって楽しい経験として刻まれれば、彼らはやがて自分からハンドルを握り始めます。「やらされる練習」が「やりたい遊び」に変わった瞬間、子供の成長速度は大人の想像を遥かに超えていきます。
本書は、自転車の教則本ではありません。自転車という最高の「遊び道具」を使って、子供たちの「生きる力(自律心、判断力、協調性)」をどう育むか。
そのための環境を、大人がどうデザインするか。 私たちが泥だらけになりながら現場で見つけた、「教えない教育論」です。
ここには、明日から使えるメソッドもあれば、すぐには答えの出ない問いもあるでしょう。 しかし、もしあなたが「今の管理的な教育だけで、本当に子供は育つのか?」というモヤモヤを抱えているなら、きっとこのテキストは、あなたのためのものです。
さあ、ヘルメットの紐を締めて。 カオスという名の「学びの場」へ、漕ぎ出しましょう。