1.自転車教育のひとつの到達点
日本のウィーラースクールは、ベルギーを手本に2003年から開催されている自転車教室である。
2006年以降は、筆者(主宰 ブラッキー中島)が中心となってこのスクールの運営を引き受け、スクールの継続と拡散に力を注いできたのだが、実はその間、自転車教育に関して、もやもやした気持ちに振り回され、いろんな不安を抱き続けてきた。
この国の自転車教育(交通安全教育)の歴史は長く、われわれの
ウィーラースクールが登場するはるか昔から、広く全国で教育機会が設けられている。にもかかわらず、なぜ、自転車(や車)の事故が無くならないのか。
なぜ、多くの人はルールを守らないのか。
そしてなぜ、自転車活用が個人レベルでそれほど積極的に行われないのか。
この、なんとも言えない、釈然としない疑問が常に渦巻いていたのだ。
それでも、自転車の活用を促進し、安全を確保するため、子どものような若年層からの適切な教育が必要であるという信念のもと、これまで全国で数多くのスクールを開催し続けてきた。
ウィーラースクールは「日本で一番楽しい自転車教室」と謳っているので、参加してくれたほぼ全員の子どもを楽しませる自信はある。しかし、本当にそれで正解なのか。
われわれのスクールが、本当に子どもたちに理解されているのか。また、伝えたい内容が果たしてどこまで子どもの記憶や心に残ったのか。そしてなにより、将来、彼らの人生にどんな効果があるのか——。明確な答えになかなか辿り着かず、もどかしい日々を過ごしていた。
そうした問いの答えを見つけ出すため、これまで、スクール中の子どもたちの様子をじっくり観察し、その場その場で臨機応変な対応をしたり、自転車にこだわらない様々な体験を、突如させてみたりと、新しいアイデアと実践の試行錯誤を続け、常に彼らと向き合ってきた。それ以外にも、様々な教育理論や海外の教育手法も参考にしながら、まさに手探りでカリキュラムを作ってきた。
そして最近、とうとうひとつの答えに到達する。 子どもたちに自転車を安全に走らせるために、大人がしなければいけないことは、実はすごく少なく、そして非常に単純明快なことだった。
子どもたちを信じ、見守ること。
ウィーラースクールの指導要領を読んでいただければ、多分みなさんにも良くご理解いただけると思う。
至極当然であるため「なんだ、こんなことだったのか」とがっかりされるかもしれない。
しかしわれわれ大人が、なぜこんな単純なことに気が付かなかったのだろうかとも思う。
先日、とある地域ではじめて指導者講習会を開催したところ、面白い反応が返って来た。
「思ってたのと違った」
つまり、自転車教室の指導者講習会なので、例えば一本橋の上手い渡らせ方などの技術的なアドバイスが主に聞けると思ってたらそうではなかったという反応だった。
実は、わたしが行う指導者講習会は実技的なノウハウはあまり伝えない。
それより、このスクールの意味や目的、どうすれば子どもたちに受け入れられるのかなど、指導者(大人)の立ち位置や考え方を主に伝えるものになっている。
こういう意見もあった。
「最初、考え方や指導のやり方を聞いたとき、確かに納得はするが、実際の現場ではそう簡単には出来ないと思った。しかし実際、後半の実技での教え方、進め方を見て、まさにそのとおりだと思った」
実は、みなさんはすでに分かっているのだと思う。
どうすれば子どもがのびのびと生きていけるのか、
どうすれば自発的に交通安全の意識が高くなり、
どうすれば、うまく交通社会に入っていけるのか、
そういう環境の中で育った子どもたちが、将来どういう大人になっていくのかを。
そして、自分たちもかつて「子ども」だったということを思い出すだろう。
ウィーラースクールの根底にあるのはただひとつ、子どもたちを信じ、見守ることだ。
自転車を楽しみ、安全に走るための感覚と知識、経験を身につけた子どもたちが、自転車というツールを有効に使って豊かな人生を送る。
これがこのウィーラースクールの最終目標ともいえる姿である。