指導要領

はじめに

6.ヘルメットは究極の自己責任のシンボル

最近、各自治体でヘルメットの義務化が条例化されるなどの動きが活発化している。
これは子どもたちの命を守るという大きな目的のために整備されたものだ。
こうした動きは当然歓迎すべきことなのだが、果たしてこれだけで十分なのかという検証は必要だ。
ここで問題にしたいのは「義務化」という流れである。この義務化には強制力が発生するため、好むと好まざるとにかかわらず、誰もが従わなくてはならない。実は、これには大きな落とし穴があるように思う。
例えば、高校生以下はヘルメット着用義務とした場合、その意味を理解しない(しようとしない)子どもたちは、当然反発をする。そしてその子たちは高校卒業と同時にヘルメット着用義務という(彼らにとっての)呪縛から開放され、二度とヘルメットをかぶらないかもしれない。
ヘルメット着用の真の意味を理解しないまま、強制された若者は、この制度をもしかしたら「悪法」と感じるかもしれない。
つまり、もし義務化するのであれば、なぜ義務なのかという考え方をしっかり浸透させないと、それを認めない層がある一定量発生するということになるのではないか。
義務化、法制化とは、いわば強制力である。当然、人によっては反発を招くこともある。そうなるとせっかくの良いアイデアも効果半減である。

この施策のもとめる結果が、今の子どもたちを即時に守ることなのか、または、市民の多くがヘルメットを着用するのが当たり前という、夢のある将来像を求めるものなのかで、この施策の運用法が大きく変わるだろう。

ヘルメット着用の根本的な意味を理解すること、それはつまり、自転車に乗っているときのリスクを自分で判断し、それに応じて行動する必要があると理解することだ。
ヘルメットを着用することはとても大切。しかし、もしヘルメットを着用していない場合であっても、着用時より周囲に注意し、万が一の事故などを防ぐ努力をすることで、安全へのマージンは格段にあがる。自転車を利用する人には、そこも合わせて伝えていくことが大切なのだ。

ヘルメット着用は、非常にわかりやすい自己責任の手法である。ヘルメットをかぶることで、自分の身を護ることはもちろん、万が一の事故の際、相手方にとってもとても大切なポイントとなる。怪我か死亡事故かで、周囲の人生が大きく左右されるからだ。

なんのためにヘルメットをかぶるのか。

義務化であれ、そうでない場合も、ヘルメットをかぶる意味をまず伝えることが大切で、そうすることがこの義務化の流れをより良い成果を上げるものにするのではないだろうか。

はじめに