4.交通ルールの目的を考える機会の欠如
最近の交通ルールは非常に複雑で、その内容も多岐にわたっている。
おまけに事あるごとに改正されているため、子どもたちには非常に難解だ。正直、大人の我々でさえその全てを覚え、理解することが難しい。
実際、すべてを理解して運用できている人は少ないのではないか。
なぜすべてを理解し覚えることが難しいのか。
それは、「なぜルールが存在するのか」という根本を理解できていないことに起因する。
なぜルールが存在するのか?
ひとつは安全を確保するための大きな要素であること。もうひとつは万が一事故が起こった場合、双方の過失割合を決める基準として必要だからだ。
例えばここに「自転車の原則並進禁止」というルールがある。
以下道路交通法から引用
(軽車両の並進の禁止)
第19条 軽車両は、軽車両が並進することとなる場合においては、他の軽車両と並進してはならない。
このルールに関しては、その例外も含めかなり細かく規定されており、違反すると2万円以下の罰金または科料となる。しかし実際の道路上において、これが必ずしも適切なルールなのかと言えば、果たしてそうとばかりも言えない側面もある。以下、あくまで交通ルールは守るという前提の上、あくまで仮の話として書いてみる。
例えば交通量の多いところでは、並進はリスクの高い行為であることは明白だ。しかし、前後の見通しが良く、明らかに他の交通がない場所で並進がさほどリスクの高い行為とは思えない。もし横に並んで楽しく走ることができたら…。そう考えた人もいるかも知れない。
しかし日本の道路は、例外を除いて全国一律で、並進禁止なのである。
このルールから読み取れるのは、「自転車は楽しむ乗りもの」ではなく「自転車は危険な乗りもの」だという前提である。
例えば、自転車の原則並進禁止というルールを、全国一律に
「自転車の原則並進禁止」ではなく、
「<危険とみなされる場所での>原則並進禁止」とするとどうだろうか。
このふたつの大きな違いは、危険(リスク)の判断を、法律ではなく、その当事者である人間が行っているというところにある。
自転車が単純に危険な乗り物とすれば、兎にも角にも危険とみなされる行為は一律規制することは正しい判断だ。実際それで多くの事故が防げることも多い。
しかし、ルールでこまかく全体を縛ることにより、本来、危険行為や事故を防ぐために、自分たちがどう考え、どう行動するのか、という、その意味や行動そのものを自発的に考える機会を、むしろ奪っているのではないかとも思えるのだ。
ある決まりごとを理解するためには、なぜそれが定められているのか、という基本的な意味を理解する能力も同時に育てなければいけない。そう考えると、サイクリングの楽しみを知ることから生まれる自発的な行動を起こせる人を育てるという目的のもと、「自転車を楽しむ」ということを念頭に法律を整備できたら、もしかしたら、また違った未来が見えてくるかもしれないと思うのだ。